大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 平成元年(オ)23号 判決

上告人

今井憲一郎

右訴訟代理人弁護士

木下常雄

被上告人

武知一男

今井ハナ子

右訴訟代理人弁護士

武田安紀彦

主文

原判決中、上告人敗訴の部分を破棄する。

前項の部分につき、本件を高松高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人梶原暢二の上告理由二の(一)ないし(三)について

一  原審は、(1) 被上告人武知一男は昭和三二年三月二一日までに、和田経雄から五二万円を同月から昭和四〇年一〇月二一日まで毎月二一日限り五〇〇〇円ずつ返済するとの約定で借り受け、その担保のため、自己所有の第一審判決別紙物件目録記載(一)の土地及び同(二)の建物(以下「本件建物」という)の所有権を和田に移転し、贈与を原因とする所有権移転登記を経由したが、昭和三八年五月以降その返済を怠った、(2) 和田は昭和五四年八月二九日、前記土地及び本件建物を上告人に贈与し、同月三一日その旨の所有権移転登記を経由した、(3) 被上告人武知は昭和五六年八月二〇日、残元金及び同日までの遅延損害金を供託した、との事実を確定した。

二  上告人は、和田からの贈与により本件建物の所有権を取得したとして、所有権に基づいて本件建物の明渡しを請求するものであるが、原審は、債権者が弁済期後に譲渡担保の目的不動産を第三者に譲渡した場合であっても、譲受人がいわゆる背信的悪意者であるときは、債務者はその清算が行われるまでは債務を弁済して目的不動産を受け戻すことができ、その所有権をもって登記なくして譲受人に対抗することができるところ、上告人は背信的悪意者に当たるから、被上告人武知は右の供託によって本件建物を受け戻し、その所有権をもって上告人に対抗することができると判断して、上告人の請求を棄却した。

三  しかしながら、不動産を目的とする譲渡担保契約において、債務者が弁済期に債務の弁済をしない場合には、債権者は、右譲渡担保契約がいわゆる帰属清算型であると処分清算型であるとを問わず、目的物を処分する権能を取得するから、債権者がこの権能に基づいて目的物を第三者に譲渡したときは、原則として、譲受人は目的物の所有権を確定的に取得し、債務者は、清算金がある場合に債権者に対してその支払を求めることができるにとどまり、残債務を弁済して目的物を受け戻すことはできなくなるものと解するのが相当である(最高裁昭和四六年(オ)第五〇三号同四九年一〇月二三日大法廷判決・民集二八巻七号一四七三頁、最高裁昭和六〇年(オ)第五六八号同六二年二月一二日第一小法廷判決・民集四一巻一号六七頁参照)。この理は、譲渡を受けた第三者がいわゆる背信的悪意者に当たる場合であっても異なるところはない。けだし、そのように解さないと、権利関係の確定しない状態が続くばかりでなく、譲受人が背信的悪意者に当たるかどうかを確知し得る立場にあるとは限らない債権者に、不測の損害を被らせるおそれを生ずるからである。したがって、前記事実関係によると、被上告人武知の債務の最終弁済期後に、和田が本件建物を上告人に贈与したことによって、被上告人武知は残債務を弁済してこれを受け戻すことができなくなり、上告人はその所有権を確定的に取得したものというべきである。これと異なる原審の判断には、法令の解釈を誤った違法があり、右の違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。

論旨は理由があり、その余の上告理由について判断するまでもなく、原判決中上告人敗訴の部分は破棄を免れず、本件については、被上告人らの清算金との引換給付を求める旨の主張等その余の抗弁について更に審理を尽くさせるため原審に差し戻すこととし、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官可部恒雄 裁判官園部逸夫 裁判官佐藤庄市郎 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫)

上告代理人梶原暢二の上告理由

一 本件については、第一審裁判所が極めて正当な判決を下していた。

しかるに、控訴審は、あえて原判決を変更し、次に述べるとおり判例違反、法令の解釈適用の誤り、多くの経験則及び証拠法則違背を重ね、審理不尽、理由不備の違法を犯し、明らかな「誤判」を結果している。

二 贈与について

(一) 弁済期が到来して後は、担保権者は目的物を処分する権限を取得する。流担保的充当の権限を有する特別の場合はもとよりのこと、清算して差額を返還すべき場合にも、目的物を処分すること自体は違法な行為ではない(我妻栄著「新訂担保物件法」六三六頁)。そして、弁済期が到来した後に、譲渡担保権者が第三者に譲渡したときは、受戻権を失い、差額の償還を請求することができるだけとなることは問題ない(同著六三二頁)。

原判決は、この点に関し「……債務者は清算が行われてなくても、もはや債務を弁済して目的不動産を取り戻すことはできないが、その第三者が物件取得時に、いわゆる背信的悪意者であるときは、債務者は清算が行われない限り、なお、債務を弁済して債権者から目的不動産を取り戻すことができ、この場合には、債務者はその取り戻した所有権をもって、登記なくして背信的悪意の取得者である第三者に対抗できると解するのが相当である。」と判示している(原判決壱〇丁裏六行目以下)。こめ見解は、極めて重要な事項に関する判断であるにも拘らず、判例の摘示が全く行われていないので、判例上も、画期的な判断であると思われる。また、寡聞にして、右見解のような学説も知らない。

(二) 従来、譲渡担保権者の処分の効力について、譲渡人の善意悪意が問題となったのは、いずれも「弁済期到来前」の処分についてである(前著六四六頁)。この点に関し、判例は、一貫して全ての類型において少なくとも外部関係では目的物は譲渡担保権者に移転しているのだから、譲受人は、善意悪意に拘らず目的物を取得するとしている(大判大正一一・六・三・民二七六頁)。また、学説も、登記を経由した以上、第三者の善意悪意を問わず、設定者は譲受人に対し、譲渡担保関係を主張し得ないものと解している(同著六四九頁)。

右の判例及び学説は、いずれも、「弁済期到来前」の処分についてである。ましてや、「弁済期到来後」の処分についての譲受人の善意悪意を問題とした判例及び学説は見当らない。これは、「弁済期到来後」の処分は、当然、債務者も覚悟しているところであるし、かつまた、清算型であれば債務者は債務額との差額の償還を設定者に請求することもできるのであるから、譲受人の善意悪意を問題としなくとも、その保護にかけるところはない、というところに根拠があるものと考えられる。

「弁済期到来後」の処分については、譲受人の善意悪意が全く問題とされていない根拠が右の述べたところにあるとすれば、いわゆる「背信的悪意」の概念をもって来ても同断ではなかろうか。この点については、是非とも最高裁の判断をいただきたい。

原判決の右見解は、少なくとも右判例の趣旨に反するものと言わざるを得ない。

(三) また、右見解には法的根拠が全く判示されていない。「弁済期到来後」の処分については、善意悪意は全く問題とすべきでないのに、「背信的悪意」であれば、債務者は、差額償還以外に、何故に取戻権まで発生するのか、その法的根拠の説示が全くない。

さらに、原判決もいわゆる「背信的悪意者」と記述しているように、「背信的悪意」の概念はケースによってその「背信」の内容を一律とはしていない。譲渡担保における第三取得者の「背信」とは、一体、如何なる内容の主観的要素によって、構成されているのか。その説示が必要と思われる。

従って、右二点について、原判決には審理不尽、理由不備の違法があるというべきである。

(四) 次に、贈与に関して、原判決の証拠の取捨選択についての違法について述べる。

(1) 原判決は、「…その後は、被控訴人が川内町から母・妻子らをつれて本件登記建物に入居し控訴人らが不本意ながら本件不動産から退去するなどしたため、昭和五六年八月一九日まで本件債務の履行を遅滞したことが認められる。」と判示している(原判決壱壱丁裏後から二行目以下)。

一体、この世の中に、何の権限もないのに他人の家に自分の家族をつれてのこのこ入居して居座ったり、入居されたため不本意ながら自分の家からすごすご家族をつれて退去して明渡し、以後一〇年以上も放置するなどという人間が居るのであろうか。上告人と被上告人らの身分関係を考慮しても、非常識極まる判断と言わざるを得ない。

被上告人らが本件不動産を上告人に明渡したのは、被上告人武知が「家屋及宅地譲渡契約書」(甲第四号証。被上告人らの虚偽の否認供述にも拘らず、鑑定人越智寛の鑑定結果により被上告人武知の筆跡であることが認められた)により、本件不動産を上告人に譲渡したからではなかったのか。

右認定は、明らかに条理及び経験則に反し、証拠法則にも違背している。

(2) 次に、原判決は「和田は本件贈与契約の締結に先立ち、……本件債務を清算する旨の意思表示を行うと記載した内容証明郵便を発送したことが認められるけれども、右郵便物が控訴人に送達されたことを肯認できる証拠はなく、却って、原審における控訴人武知一男(第一回)及び同今井ハナ子の各本人尋問の結果によると、そのころ控訴人らは夜分遅くまで住居を不在にすることが多かったため、右郵便は配達されないまま返送されたことが窺われる。」と判示している(原判決壱参丁表六行目以下)。

しかし、内容証明郵便は、受取人が留守の場合は、「一定期間は郵便局で預かっているから取りに来るように」との書類が差置送達されているのである。このことは、いわば公知の事実である。従って、かりに夫婦共々に不在が多かったとしても、右差置送達の書類は見ない筈はなく、見たとすれば普通人であれば受け取りに行っている筈である。

経験則上からいえば、被上告人武知は、右内容証明郵便を見ていると認定すべきではないのか。控訴審に武知の本人尋問の結果を採用しているが、同人が甲第四号証につき終始嘘をつき通していた事実(越智寛の鑑定結果及び同人の証言)及び武知に関する第一三号証の「百万円だまし取る。詐欺男を追送検」なる新聞記事について、一体どのように評価しているのであろうか。

右の点に関する証拠の取捨選択は、明らかに証拠法則に違背しているというべきである。

(五) そして、原判決は、「他に本件債務につき清算が行われたことの主張及び証拠はない。」と判示している(原判決壱参丁裏六及び七行目)。しかし、上告人は、昭和三八年五月七日に和田、上告人及び被上告人武知との間で清算が完了している旨を再三主張している(上告人の昭和五八年九月二日付、昭和六二年四月二二日受付各準備書面)。

また、その証拠としては、前述の甲第四号証及び証人和田経雄の証言並びに今井憲一郎の本人尋問の結果がある。

右判示部分については、原判決には明らかに審理不尽、理由不備の違法がある。

(六) そして、結論としては、原判決は、「この贈与契約の締結は、専ら被控訴人が、控訴人武知において早晩債務を弁済して本件不動産を取戻すことを予測してこれを封ずるとともに、控訴人武知において、和田から物件処分に伴う清算金九六〇万円余を取得することを事実上不可能とすることを意図して行ったものと認めることができる。」と判示している(原判決壱四丁裏後から三行目以下)。

ただただ、呆れ驚くのみである。「取戻すことを予測してこれを封ずる」意図があるのであれば、何故に、弁済の機会を与えることになる内容証明郵便(甲第三号証)を出したりするのか。また、清算未了だというのであれば、被上告人武知は和田(経済的には極めて富裕である)に対し差額償還が充分に可能なのに、何故に、「事実上不可能」なのか。

原判決は、余りにも非常識な結論であって、その証拠の取捨選択、推論の過程には多くの証拠法則及び経験則違背があり、審理不尽、理由不備の違法は明白である。

三 売買について

(一) 原判決は、「……昭和三八年五月七日までに本件債務が消滅して、本件不動産が控訴人武知に返還されたとは認められない……したがって、右日時までに本件登記建物が控訴人武知に受け戻されていたことを前提として、その日時に、控訴人武知との売買により被控訴人が右建物の所有権を取得したとの予備的請求原因は、その前提を欠き理由がない。」と判示している(原判決壱六丁一行目以下)。

要するに、譲渡担保においては、設定者は債務を完済して受け戻しをしない以上、担保物件を売買等により所有権譲渡はできないという見解である。

しかし、債務未完済であっても、設定者は目的不動産の所有権を譲渡できる。すなわち、譲渡担保権者が何らの登記をしていないときは、譲受人は、常に負担のない権利を取得する(我妻前同書六五一頁)。そして、登記されている場合は、対抗力ある権利取得ができないだけである(同書六五〇頁)。対抗力の有無と所有権譲渡が全くできないことは、全く別問題である。

しかも、本件の場合に、上告人の権利取得について対抗問題が生じるのは、名義人の和田との間においてであるが、和田は本件売買を了解しているのであるから、対抗力の有無は問題とならない。本件売買契約は、和田と上告人及び被上告人武知の三者で話合った結果締結されたものであることは、上告人は再三主張している(上告人の昭和五八年九月二日付、昭和六二年四月二二日受付各準備書面)。

担保権者の同意がある場合にまで、債務を完済しなければ所有権譲渡ができないとする理由は全くない。

原判決は、右の点に関し、法令の解釈適用を誤り、明らかに審理不尽、理由不備の違法がある。

(二) さらに、原判決は、本訴において最も重要な証拠である甲第四号証を全く無視している(理由中に同号証の摘示は全くない)。

被上告人武知は、甲第四号証「家屋及宅地譲渡契約書」の成立について、前訴においても本訴においても徹底的に虚偽の陳述をしている。しかし、本訴第一審において、鑑定人越智寛の鑑定結果により、同号証の署名が被上告人武知の筆跡であることが明白となった(これは、前訴について再審事由にも該当する。民訴法第四二〇条第七号)。

すなわち、甲第四号証は被上告人武知作成の真正文書であることが明白となっているのである。そして、同号証によれば、昭和三八年五月七日に本件不動産が被上告人武知から上告人に代金三〇万で譲渡されたことは明らかである。そして、和田に対する残債務については、上告人が自己所有の山林を被上告人武知に代わって代物弁済することにより清算し、和田も右売買を了解していたものである。

原判決が、真正文書であり、かつ、本訴の最も重要な証拠である甲第四号証を全く無視していることは、採証法則に違背し、著しい審理不尽、理由不備の違法があるというべきである。

四 時効について

原判決は、「被控訴人が昭和三八年五月七日、控訴人武知に売買代金の名目で三〇万円を交付したことがあり、またその金員の交付により、本件不動産を同控訴人から買い受けたと信じたとしても、被控訴人において、右物件がそれまでに控訴人武知へ返還されているか否かを確認しなかった点に過失があるというべきである。」と判示している(原判決壱七丁表三行目以下)。

右の「返還」とはどういう意味であろうか。昭和三八年五月七日時点では、本件不動産は被上告人武知が居住しこれを占有していたのであるから、物自体の「返還」でないことは確かである。そうすると、残るのは「占有改定」が行われたか否かとか「観念的な所有権の復帰」がされたか否かについて確認をしなかったことに過失があるというのであろうか。

法的に無知な一般人にたいし、譲渡担保が何たるかを理解した上での行動を期待することは甚だしく常識に反している。

原判決は、右の点に関し、法令の解釈適用を誤り、経験則違背及び理由不備の違法があるというべきである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例